創価学会の私が結婚した後に起こったこと2
結婚生活はしばらく順風満帆だった。
すぐに男の子を妊娠し、出産。
とても元気な大きい男の子で、すくすく育っていった。
1歳8カ月になったところで、保育園に預けて職場復帰。
ワーキングマザーは、私のような要領の悪いママにとってイバラの道だったがなんとかやっていた。
そして息子が2歳になり、だんだんしっかりとしてきて
あぁ...もうこの子の天使のようだった赤ちゃん時代はもう2度とやってこないんだな、と思ったら
また2人目を育てたくなった。
のが半分、仕事が辛くて産休をまたとりたくなったのが半分。
こんな不純な動機がよくなかったのか?
やっと妊娠した、と思ったら妊娠9週目になっても心拍が確認できず流産してしまった。
手術は土曜。
息子と主人は実家へ、私は実母を付き添いにして手術に臨んだ。
心強いのだが、やはり
「祈りなさい攻撃」はすごく受ける。
辛くなったらご本尊様の前に座りなさい。
すべて解決するから。
不真面目にやってると、祈りを起こさせるようなことが起きるんだよ。それが宇宙の法則だから。
うん、うん、そうだねと言いながら聞き流す。
あぁ、母が私の気持ちを
「そうだね。辛いよね」ってただ共感して、わかってくれたら私の心はどんなに癒されるだろう。
相談したところで、祈らなくちゃだめ!マイナス思考は絶対にだめ!心が弱かったら魔につけこまれるよ!って叱咤激励なのだ。
その後半年くらいでまた私は妊娠した。
今回の妊娠は順調だったけど、産む直前に赤ちゃんの心拍が謎の低下。
へその緒が首に巻いてるかもね。
と言われ不安に。
果たして無事に産まれるんだろうか?
緊急帝王切開になるんだろうか。
赤ちゃん苦しいのかな...
夫も仕事で息子は義実家、ひとりで孤独で不安だった。
たまらず母に電話して、泣いて不安をぶちまげた。
母は
「絶対に大丈夫だから!お母さんが信じてあげないと!今からご本尊様の前に座りなさい。しっかり祈るの。こっちでもお父さんと祈るから。心が晴れて、迷いがなくなるからね!なんとしてでも、絶対に無事に産めるから!」
...うん。まぁ、予想通りの答えだね。
でもこれがこの人の愛情なんだ。
私のことを本気で思ってくれている結果、こうなっているんだよね。
母の愛情は、痛いほどわかる。
心が弱っていた私はご本尊の前に座っていた。
そして泣きながら南無妙法蓮華経と唱えていた。
決して心から信じて唱えたわけではない。
小さい頃からの染み付いた習慣。
家族の絆。
心が少しでも落ち着くなら、儀式として落ち着くまでやってみるのもいいかもしれない。
しかし心から信じて唱えているわけではないので、なんかだかスッキリしないまま終わらせた。
そして、心が弱っているときは、あんなに逃げ出したかった行為に自分から戻ってしまうんだという事実に愕然とした。
鳥かごから必死で逃げて飛んでいったはずなのに、自分から舞い戻ってしまうなんて。
私は危機に陥ったときに、全く自分を強く保っていられないしなにかに依存したくなってしまうんだなぁと...
藁をもすがる、という諺の心境がよく分かった。
よく病気なんかで悩んでいると、宗教にハマりやすくなるという。
うちの母も、悩んでいたり心が弱っている人がいたりすると「学会の教えで助けてあげなくちゃ!」と使命感に燃えたりするのだが、格好のターゲットだからじゃないか...
そして、娘は無事に産まれてきてくれた。
へその緒が首に巻いているということはなかった。
おとなしくてかわいい女の子。育てやすくてラッキーなんて思ってた。
そしたら一ヶ月検診で心雑音があり、心室中隔欠損と言われた。
要は心臓に産まれつき小さな穴が空いてるから、酸素があんまりない血液が体に回って身体中の酸素が足りなくなるかもね。そしたらそれをカバーするために心臓が早く打ったりして、心不全の症状がでてきちゃうかもね。ってこと。
結果からすると、数ヶ月ですぐにふさがったんだけど最初はこの先どうなるかわからないので本当に心配した。
そして、障害をもっていたり病気をもっていたりする子が産まれるということは。
うちの母に言わせると
「前世からの宿業を背負って産まれてきた」
「乗り越える使命を持って産まれてきた」
ということになる。
「この子がこういう心臓で産まれたってことは、○子に信仰をさせるために産まれてきたってことなのよ。やっぱり祈りは大切なんだって気づかせてくれてるのよ、ご本尊様が」
正直、くそくらえ。と思った。
心臓に多少ではあるが問題のある子が産まれてきた。
私のせいかな、とかどうして私の子が、と母は悩んでしまうのだ。
そんなときに、お前が祈らなかったからこうなった、か...
もう困ったときに、この家族には悩みを相談したくない。
祈れ、祈れ、祈れ。
私の気持ちに共感するより、教えの尊さを言われてそんな弱い心じゃだめと叱られるのだ。
その後の体調不良のときも、家族に相談することはなくすべて検査後の事後報告だった。
相談する相手は市の保健師さんや友人、夫になっていった。
しかし私は心の底で、なんでも聞いてくれるお母さんを探してる。
私が強くなって、しっかり悩みに向き合っていかなくちゃいけないんだけど。
こうなってしまったのも、まぁ仕方がないなあと思ってゆっくり一歩ずつやっていくしかないなあと思います。