創価学会の一家に産まれて (学会2世の苦悩)1
私は創価学会を熱心に信仰している一家に産まれました。
今では信仰心は持っておらず、結婚して家族とは距離を置いた暮らしをしています。
幼少の頃からずっと、信仰を当たり前のこととして教え込まれていたことが
私の人格形成に多大な影響を及ぼした。
そう思っています。
自分の心の整理のため
そして、同じように苦しんでいる人に共感してもらえたらなーという目的で語っていこうかと思います。
祖父、祖母、父、母、姉、私。
6人家族の次女として産まれた私
物心ついたときから、家には大きな仏壇があり
毎朝、毎晩家族がお経のようなものを唱えているのが当たり前でした。
仏壇は「ご本尊様」と呼ばれており
「ご本尊様に願えば、なんだって叶う」
「困ったことがあったらご本尊様に祈りな。乗り越えていく力が湧いてくるから」
「あなたは幸せなのよ。ご本尊様のあるお家に産まれてくるってことは、前世で福運をたくさん積んだってことなんだから」
このようなことを日常的に言われながら育ちました。
帰ったら手を洗う
人には優しくする
それと同じようなレベルで、当たり前のこととして浸透していきました。
なんでも叶う魔法みたいな力はすごいなぁ。
特別なお家に産まれてきて、私は幸せだなぁ。
なんてことを、素直に思っていました。
母方の親戚も、父方の親戚もほぼ全員が信者。
母の知り合いや、姉の知り合いほとんどが信者。
今思えば、私が関わる大人のほとんどが学会の人でした。
包囲網ですね。
日常的に起こることや、テレビを見ても、人の噂話なんかでも
「真剣に祈れば大丈夫なのに」
「ご本尊様のあるお家に産まれなかった人はかわいそうね、私たちは祈ることができるけど」
「少し心が弱かったのかな、魔につけこまれちゃったのね」
「強い心で祈ったからよ!」
などのオンパレード。
信仰というのが生きる大前提にあって、すべてがそこに収束していくんですね
もう、信仰が人格の一部になっているというか
私には、信仰をなくした家族というものが本当に想像つきません。
生まれ変わらないと、無理じゃないかな。
こんな家で育ったら、まぁそれは洗脳されますよ。
他の考えに触れる機会がないのだもの。
そして小さい子にとっては、お母さんが世界のすべて。
私は幼稚園児ながらも、大人の会合にでておとなしくしていたり
毎朝毎晩、仏壇の前に座って祈ったりする子供でした。
つづく