母親に電話をしました。
いのちの電話にかけてしまうのは、結局私はお母さんのような存在を求めてるからだと。
思えば私はちゃんと自分のことを話していないでここまできてしまった。
もう信仰心がないことを黙って、母親のありがたい説法を無言で聞いていた。
本当は私の話を聞いてほしい。慰めてほしい。
信仰なんか関係なく私のことを認めて受け入れてほしい。
お母さんが大切で大好き。
私がこう思ってることをいつかは伝えなければと思っていた。
私も今回の妊娠でどうなるかわからない。
電話をして、泣きながら伝えた。
「教えを信じることができなくてごめんね。
離れてしまっているけど、本当は大好きで、産んでくれてありがとうと思ってる。
育ててくれてありがとうって思ってる。
わがままだし言うこと聞かなくて大変だったとおもう。ごめん。
お母さんに愛されたくて、今まで言えなかった。
創価学会から離れたいと思っていた。
信じていることが違うけど、お母さんが私のことを思ってくれているのはすごく伝わってくる。
お母さんが信心すごい人なのはわかってるし、私のことを思うから言ってくれてるのはわかるけど、それを聞いてどうするかは私次第だから。
選ぶ道が違ったけど、本当はもっと頼りたいし甘えたいし必要だと思ってる」
母はやはり、母だった。
「あのね、やっぱり信心根本じゃなくちゃ」
そうだよね。それがお母さんだ笑笑
それでこそ私の母。
私を愛してるからこそそう言ってくれるんだよね。
でも、わたしにはわたしの意見があるから。
それを黙って、信仰の話を耐えて聞いてなくてもいいんだ。
私は言いたいことを言ってもいいんだ。
母はやはり信仰の部分は譲れないけれども、
私のことを
「どんなになっても大切だからごめんなんて言わなくていい」
と言ってくれた。
こんなことが起こるなんて思ってもみなかった。
私は一生、のらりくらりとかわしていくんだなと思ってた。
ちゃんと意見が言えた方にびっくり。
決めつけは、よくないな...