学会2世の女が自分を取り戻すためにあれやこれや模索しますよ

学会2世ですが、今は全く活動してません。信じてません。でも罰の思想を未だに引きずってて、心気症気味です。

脱会者が抱え続けてしまうものと信じなくちゃ症候群

創価学会を脱会した人、と検索してネットの波を徘徊していたときに

 

自らも脱会者であり、脱会者の支援を行なっているいわたちせいごうさんという方を知りました。

 

メールでの相談に対応する、とのことだったので相談しちゃいました。

 

病気が怖いこと=罰に怯えていること、なにか大きな力にすがりたくて仕方がなくなってしまうこと。

 

するとすぐに返事をいただきました。

 

ブログに引用してもいいと許可をいただいたので、以下抜粋しますね

 

「わたしは過去20年間、多くの声を聞いてきました。
驚かれるかも知れませんが、脱会をしようとした、脱会した方々、ほぼ100%の同じような悩みを抱えていました。

その原因は、信仰した宗教が恐怖で人を操作する仕組みを持っているからです。 

カルト、議論ある団体といわれる問題のある宗教は、信徒会員を“依存症”にして操作します。その残滓です。
空虚感、喪失感、その反面となる依存心は、脱会後のもっとも典型的な“後遺症”のひとつです。

脱会した、組織を離れた人誰しもそうした気持ちになります。」

 

なんだぁ。

 

カルト宗教を辞めた人、みんな私みたいになってんのかぁ。

 

私だけ心が特別弱いわけじゃないのかなぁ。

 

拍子抜けしたような、安心したような。

 

そしたらもう、仕方がないよなぁ。私がこうなっちゃうのも。

 

また、「私は自分を信じる方法を模索中です」

 

とメールすると、次のようにかえってきました

 

「宗教、とりわけ仏教が、信仰という言葉と =(イコール)であると考えること自体、集団によって刷り込まれた条件反射であると気付いたのは、会を辞めて10年も経ってからのことでした。
わたしたちは、“信じること”への中毒症とされていたのだと思います。
実は自分も含めて、信じることを基準にしなくとも、自然体で生きていけることに、やがて気付けました。
自分を信じるには、次があり、やがて、信じようと信じまいと、自分は自分である。かけがえのない自分であるということでした。
やがて、生きることに苦しみ、やがて老い、そして病み、死にます。
しかし、最後の瞬間まで、自分は自分にとってかけがえのない自分であるということです。」

 

これ、ガーンときました。

 

「何かを信じなくちゃいけない」と思う気持ち、これも後遺症だと!!!

 

自分を信じられなくちゃ強くなれない、自分を信じなきゃ...でも自分が信じられなくて辛い、他の何かを信じて依存してしまいたい...

 

って思ってたけど、別に何も信じられなくてもいいんだ...

 

目からウロコの驚きでした。

 

そうか、自分が信じられなくても結局死ぬ最後の瞬間まで自分は自分なんだ...

 

自分に最後まで寄り添ってくれるのは自分だけ。なにを信じようが信じまいが。

 

何も信じなくてもいい。

 

頭ではわかるんですが、心からこれを実感するまでにはまだまだ修行が足りなそうです...

 

でも思い切って相談してみてよかったです。

 

私だけじゃないんだって思えてすごく心強いし、実際に乗り換えた方の話を聞くとすごく励みになります。

 

みんなきっと苦しみながら頑張っている。

 

不整脈が気になりすぎるけど、前を向いていこう。