2度目のカウンセリング
本日は2度目のカウンセリング。
もう思う存分、家庭の事情や今まで悩んできたこと、自分がどんな人間か(と自分で思っているか)ということを伝えてきました。
カウンセラーさんに言われたので印象的だったのが
「怒ったりすることはあまりないの?言いたいこととか普段あまり言えないの?なんだか、衝突を避けてるよね」
とのこと。
確かに、ぐさり...
わたしは人に怒るようなことをされてもまっっっったく怒れない。
でもムカムカはしている。
夫に愚痴る。
でもいざとなると、全く言えなくて「全然気にしてないよー!」といい人ぶってしまう...
私が怒ったときに、相手の人がどう反応するか怖いし...
とにかく、言いたいことが言えないの。
これは昔から。
だから、気の強い人に気に入られて、いいようにされてた。小学生の頃。
今思ったけど、だから気の強い人が今でも苦手なんだなぁ。
そして、中学生のときに支えてくれた男性がいたことも話した。
このことは、夫には一切喋っていない。
友人も、何人かしか知らない。
私のトップシークレットだ。
だって24くらいの人がさ、チャットで出会った中学生と付き合うとかもう正気の沙汰じゃねぇというか
まぁ、あの時の私はそうするしかなかったし...
何かあったら俺の家に来ていいとか、大人になったら結婚してもいいとか
愛なんじゃないか、と思う瞬間があったし
でも、このままこの人に依存して2人きりの狭い世界で人生が終わっていくのを恐怖したし
カウンセラーさんも、「その男性とは...交際だったの?」とか「何歳だったの?」とか恐る恐る聞いてきたよね
そして
「よくそこから戻ってこれたよね。普通そのままどっぷり依存していっちゃいそうなのに」
とお褒めの言葉をいただき嬉しかった。
やっぱり私は危ういんだけど、きっと本能で本当に危ない道は避けられるようにできてるんだ。きっと。
友人にもよく言われる。
「そこまでガチガチの創価学会の家に産まれて、よく洗脳されないで飛び出したよね!」って。
きっと私は、すごく依存したがりで危うい。
でもきっと「自分で考える」宿命を持って産まれてきてるんじゃないかな。
思考を委ねたいんだけど、委ねてしまうと違和感を覚える。
たとえ茨の道でも、自分で考えることをやめるな、と
もし神様みたいな存在があるとすれば、私に言ってくれている気がする。
それにしても、中学生のときに支えてくれたあの人は今何をしているのかな。
今39歳くらいか。
電話番号も変わってしまったし、もう一生会えないだろうけど
改めてごめんなさいとありがとう。
人生で一番傷つけた。
もう2度と人をあんなふうに傷つけたりしないと誓った、高校生のころ。
幸せに暮らしていることを願う。