心気症の学会2世が自分の心を取り戻したいんだってよ

学会2世ですが、信仰心なしです。心気症気味です。高血圧合併妊娠で3人目を産もうとしています。

1Q84を読んですごく共感したこと

私は村上春樹さんの小説のファンです。

ネットではファンのことをハルキストwといって揶揄の対象になっていますが私は大好きなんです。

特に1Q84という小説。

青豆さんという珍しい名前の女性が主人公のうちの1人なんですが

彼女が、熱心な宗教一家に産まれて10歳のときに家族と縁を切ったという内容なのです。

おそらくその宗教は、実在するエホバの証人をモデルにしたものと思われ

輸血をしてはいけない、質素に暮らさなくてはいけない、食事の前にお祈りを唱えなくてはいけないという決まりに加え

日曜日には、母親が一件一件知らない家のインターホンを押し、布教に付き合わされるというかなりヘビーな子供時代。。

創価学会だったうちはここまでひどくなかったけど、

主人公の抑圧されてしまった心、孤独感や苦しみがひどく染みました。

特に、青豆さんが大切な仕事の前にお祈りを唱えるシーン。

もう信仰心なんてとっくに無くしているのに、その祈りは彼女の一部になっている。

私も、追い詰められたとき無意識に「南無妙法蓮華経」と唱えてしまう時がある。

自分の一部になってしまったものは、染み付いてしまって離れないのだ。

大好きな作家、手の届かないところにいる作家が私の根幹となっているような苦しみを書いてくれた。

まるで私のために書いてくれたのかと、心が震えました。

もともと私が村上春樹さんの小説を好きになったのは、

彼が「圧倒的な力を持った巨大なシステムによる理不尽な暴力によって心を損なわれた人が救われ、再生する物語」を書いていたからです。

(理不尽な暴力とは、物理的なとこだけではなく精神的に痛めつけることも含みます)

心を損なわれた登場人物が、救われて再生してゆく様を見て私も癒されていたのです。

それは私の願望そのものだったので...

村上春樹さんは、エルサレム賞の受賞スピーチでこうおっしゃっています

                                                                                                                                                                                • -

-常に卵の側に- 村上 春樹


「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」

そう、壁がどんな正しかろうとも、その卵がどんな間違っていようとも、私の立ち位置は常に卵の側にあります。何が正しくて何が間違っているか、何かがそれを決めなければならないとしても、それはおそらく時間とか歴史とかいった類のものです。どんな理由があるにせよ、もし壁の側に立って書く作家がいたとしたら、その仕事にどんな価値があるというのでしょう。

                                                                                                                                                                                • -

村上春樹さんは、オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件の被害者や関係者にインタビューをし本を出版しています。

きっとそこで、大きな組織による理不尽な暴力に巻き込まれた人々の苦しみを知り

潰されてしまう卵の側に自分は立とう。と決めたのだと思います。

私にとって、村上春樹さんは物語を武器に戦うヒーローです。

「僕が本当に描きたいのは、物語の持つ善き力です。オウムのように閉じられた狭いサークルの中で人々を呪縛するのは、物語の悪しき力です。それは人々を引き込み、間違った方向に導いてしまう。小説家がやろうとしているのは、もっと広い意味での物語を人々に提供し、その中で精神的な揺さぶりをかけることです。何が間違いなのかを示すことです。僕はそうした物語の善き力を信じているし、僕が長い小説を書きたいのは物語の環(わ)を大きくし、少しでも多くの人に働きかけたいからです。はっきり言えば、原理主義リージョナリズムに対抗できるだけの物語を書かなければいけないと思います」
村上春樹氏:『1Q84』を語る 毎日新聞 2009年9月17日)

物語の善き力に触れた人は、何が間違いで何が正しいのか、真実を見抜く目を持つことができると信じています。

決して思考停止して、システムに身を委ねてしまってはいけないのです。

悪しき物語に対抗する善き物語を、自分の力で紡いでいかなくてはならない。

私も、善き物語の力を信じる人間の1人です。