創価学会の家に産まれて(学会2世の苦悩)2
祈れば幸せ(o^^o)
なんにも心配ないんだよ(o^^o)
なんて優しい世界だったらよかったんですけどね。
学会には「罰の思想」というのがありまして。
教えを疑ったり、活動を不真面目に行ったり、脱会したりすると
必ず悪いことが起きる。
また、前世での行いがよくないと今世で悪いことが起きるようで。
今思うと、本当に非科学的で根拠のない妄言です。
でも小さな子供に親が言って聞かせると、子供の心の中でそれは真実になってしまうのです。
脱会した人の家が大火事になった。
前世からの業で病気になる。
また母はよく、聖教新聞の記事を私に読み聞かせしました。
だいたいが、末期ガンにおかされた信者が祈って病気を克服するというストーリー。
小学生くらいの私にしては、それはものすごい恐怖のストーリーでした。
末期なので、痛いし苦しいし吐血はするし体重は減るし...
病気というのはこれほどまでに苦しく、恐ろしいものなのか。
私は震えあがりました。
だいたいがものすごい精神力で祈って病を吹き飛ばすというストーリーなんですが。
私は
「病気になっても強い気力で祈れば大丈夫なんだ!」
とポジティブにとらえることができず
「不真面目な私は、いつか罰が当たって病気になってしまうかもしれない。そうしたら、こんなに強い気持ちで病気を克服できるだろうか...」
と憂鬱な気持ちになってしまったのです。
そして私は
「お願いだから、信じるから悪いことを起こさないでください」
という気持ちで祈るようになりました。
それは私に後ろめたい気持ちがあったから。
毎朝、毎晩勤行(お経みたいなやつ)を唱えるのが面倒くさい。
会合に行く時間、本を読んだりテレビを見たり好きなことをしたい。
他の子は日曜日に会合とかなくて好きに遊んでいるのに。
どうして私だけ会合に行かなくちゃいけないんだろう...
そんな気持ちになる、私は悪い子なんだ。
違う違う、罰が当たっちゃう、そんなこと思ってない。信じるから、悪いことを起こさないで...
いつかきっと私にも、信心が本当に芽生える時がやってくるんだろう。
試練みたいなのがあって、乗り越えて。
そしたら、私も母や姉みたいにまっすぐにご本尊様を信じられるようになるんだろう。
そんな気持ちで祈ってました。
今考えると
不安にかられる
↓
不安から逃れたくて必死になる
この心の動きが私の行動原理となって染み付いてしまったような気がします。
つづく